……酷く無様な依頼だった。
村々を壊滅に追いやった人族の脱獄囚、その大捕物という話だったが、依頼の是非よりもその最中で起きた仲間割れの方がより強く悪印象として僕の中に残っている。
件の脱獄囚は、ハールーヴという名の少女だった。見た目は可憐で、言われなければとても凶悪な囚人には思えないほどだ。
しかし事実として、彼女の手によって開拓村は壊滅に追いやられ、村人は屍を晒し、迎合しかねる価値観でのみ動くアレは、意思の疎通など望むべくもない真正の怪物だった。在り方としては、最早蛮族や魔神と同列ですらあったと思う。
……だが、人というものはどうしても見目に左右されやすいとでもいうのだろうか、凶行を隠しもしないアレと対話を試みようとする者がいた。アランだ。
別段、それ自体は構わない。主義思想、本人の優しさや感傷。感情的な思惑でそれを試みようとするのは、彼のような人族にとってはきっと当然の行為で、それそのものを僕は否定しない。
だが、同時にそうは取らない者もいる。アレを相容れぬ者と見做し、問答無用で戦端を開こうとする者もまた当然居て然るべきだろう。
今回の場合、シェンナがそうだった。彼はハールーヴを一目見て敵と見做し、斬りかかった。
その思惑もまた僕の理解が及ぶもので、僕個人として言わせてもらうならば、彼の行動こそが正当であるとはっきり断言できる。
アレはどうしようもない怪物で、救いようのない罪人で、打倒して然るべき敵だった。そこに何の齟齬も間違いも無い。
優しさや――あるいは甘さ――を多分に抱えるものなら、それを短絡的な行動と見做して憤る者もいるだろうが、僕は彼の迅速な行動をパーティの無事に直結する最適解であると信じることができた。
――しかし、だからこそ背後から彼を襲ったアランの昏睡魔法は、俄には信じ難かった。
アランがハールーヴとの対話を試みようとしていたことは理解している。
シェンナの専行を咎め、阻止する者がいるとすれば、間違いなく彼であろうということは容易に察せられたことだ。
しかし、だからといって……敵を案じるあまり味方を危機に陥らせる愚行を犯すなどと、一体誰が予測できただろう。
シェンナは無防備にもハールーヴの前で昏倒し……しかし戦いにおけるハールーヴの鈍さに救われ、かろうじて助け起こすことができた。
これがもし戦いを是とする蛮族や、狡猾な魔神の前だったなら……果たしてシェンナは無事だっただろうか。
……そんな筈が無い。あの瞬間、間違いなくシェンナは死んだも同じだった。
命を拾えたのは、ハールーヴという化物の纏う皮が少女のものだったからに過ぎない。
意識を取り戻したシェンナは、当然の如く怒りに身を震わせてアランに詰め寄った。
対するアランもまた、その怒りを受け止めるもシェンナの行動を独断と見做し、己の主張を譲ろうとはしなかった。
場は一転して一触即発の空気となり、いつ激発してもおかしくはなかった。
まごうことなき敵を眼の前に、英雄とも称される高位の冒険者が仲違いを始めようとしていた。
まるで悪夢のような光景だった。
客観的に眺めれば全く以てくだらない諍いで、店と依頼人の信を託された冒険者が空中分解しようとしていたのだから。
ヴァステンとピピミックがハールーヴの気を引いていなければ、間違いなく場が混沌としたまま戦端は開かれ、僕達は重篤な不利を強いられていただろう。ともすればその命を危ぶませていたとも。
結果としてハールーヴは無事仕留められ、その命を絶つに至ったが……もし運命の賽の出目が異なっていれば、果たしてどうなっていたことか……。
結果としてシェンナとアランの間には埋め難い溝が刻まれた。
ハールーヴの始末においてヴァステンからの抗議の声もありはしたが、そちらはまだいい。
だが、ルーキーですらしでかさないであろう愚を、僕達が犯してしまったことへの不安が重いしこりとなって僕の裡に残った。
……こうして文字に起こしてみて、改めて自嘲する。
僕は果たして、この事態において、一体何ができていただろうか……と。
シェンナとアランの仲違い。討伐後のヴァステンとの口論。どちらにも僕は口を挟んでいたが、それは空虚なものではなかったか。
……いや、間違いなく詭弁だっただろう。僕の言葉はきっと、事態を何の解決にも導かない妄言でしかなかったはずだ。
むしろ直接仲違いをせず第三者を気取っていただけに、より愚かしく滑稽だったように思う。
こうして女々しく筆を執っているのも、そうした後ろめたさからの代償行為に過ぎない……のだろう。
シェンナの怒りは正当だった。
あの場においてアランの行動は間違いなく悪で、僕はきっと、それを真摯に咎めるべきだった。
シェンナの怒りの真意も察せず、アランの愚行への叱責もできなかった、その中途半端さこそが僕の咎。
故にこうして今も命を繋いでいることの奇跡を噛み締め、これを二度と犯すべからざる愚として訓戒しなければならない。
そうでなければ、僕は冒険者でいられない。冒険者でいられなくなったなら、僕はいよいよ居場所を失う。
マリアンデールも二度目は許さないだろう。三度目までそれを許すほど、マリアンデールは甘くない。
依頼を終えたあと、アランは憔悴しきっていた。
一時の感情で愚を犯した彼だが、真正の愚者ではない。事の重大性は、彼自身がよくよく思い知っているに違いない。
だが平素の彼はまがうことなき人徳者であり、その疲弊を癒やす者は他にいる。
だが、シェンナは……あの傷ついた山猫のような男は、どうだろうか。
彼は結局、帰りの道中は一言も口を利かなかった。店に着いてからもマリアンデールと一言二言交わしてから、とっとと姿を眩ませてしまった。
あのとき、事実として味方からの裏切り行為を受けた彼の傷を癒やす者は、果たしてどこにいるのだろう。
僕にはそれがとても気掛かりだった。同族の誼も多分にあるだろうが、それ以上にただ彼が痛々しく見えてならない。
……本格的に、恋煩いめいてきたな。僕はただ、若き同族が寄る辺も無く傷ついたままでいるのを看過できないだけ……のはず、なのだが。
……一度、落ち着いて言葉を交わす機会を得られたなら…………そうでなくとも僕は、彼の味方でありたい。
――山猫の彼は、間違ってはいないのだから
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