某月某日、アッシュの日誌 #4 : 日誌
アッシュ  (投稿時キャラデータ) 風神 2019-05-07

思いがけず面倒な仕事になった。
単なる回収任務と思い、暇そうだったシェンナを連れて臨んだわけだが、流石に魔剣の迷宮と言うべきか。
侮っていたつもりはないが、警戒が足りていなかったことは否めない。
よもやシェンナと逸れ、僕自身前後の記憶を一時でも失って彷徨う羽目になるとは……。

迷宮の性質も厄介極まりなかった。
核となった書籍の内容がある程度反映されるとは事前に聞いていたが、単なるカウンセリング資料がこれほど面倒な迷宮を生むだなんて。
見知らぬ人々の自殺現場に居合わせ、それをわざわざ解決していかねばならないだなんて、とてもじゃないが僕のような人間に求めるものじゃないだろう。
今になって振り返っているからこそ当時の違和感や滑稽を認識できているが、その時の僕は単なる日常の延長線上のものとしてそれらに遭遇したのだから、全く傍迷惑な偶然に随分と必死になったものだ。
僕とて人でなしの冷血漢であるつもりはないし、それを本当のことと思っていれば、流石に見過ごすような真似はしない。
迷宮の性質上、それを逆手に取って罠に嵌めるような意図ではなかったからこそ無事だったが……それにしたって、随分な悪趣味だろう。

だが……元となった書籍の内容、それを執筆した著者の想いは紛れもなく本物で、真摯だった。
数多の自殺志願者と向き合い、その一つ一つを腑分けていった著者の想いは、終わりの見えない絶望と虚無に倦んではいたけれど、それでも見捨てようとはせず最期まで直視し続けたその事実こそは誰にも否定できやしない。
面倒だったのはあくまでもそれを元に生まれた迷宮であって、彼の人生の結晶である書こそは、僕自身共感はできないまでもその価値を認めよう。

だけど……ああ、そうだ。迷宮の最後の試練として立ち塞がった番人だけは、そうした事情を鑑みても腸が煮えくり返る思いだった。
覆面で隠していても、僕には一目でわかった。そしてそれが本物とは似ても似つかない偽物であるとわかっていても、その姿をしたモノと敵対することに動揺を隠しきれないことも。

――――シェンナ

迷宮に反映された著者の無念や迷い、諦念が彼の姿を依代として形を為した影。
著者の残留思念は言った。彼が死に近いからこそ影は彼の形を取ったと。
共に迷宮に踏み入った瞬間、死に急ぐ彼だけが迷宮の闇に囚われ、その影が番人と成り果てたのだ、と……。
数多の自殺志願者と向き合い、その一部始終を記した書から生まれた迷宮の番人と成り得る程に、彼が抱えていた闇は深かったらしい。

僕は彼の闇を知らない。僕と彼は互いに顔と名を知り合ったけれど、その奥底まではまだ共有できていない。
だけど、あのとき……店の裏庭で吐き出された彼の小さな悲鳴で察するものはあった。そしてそれは、決して軽々しく踏み入ってはならないものであることも。
だから僕は、シェンナの闇が敵対したことに驚きはしたものの、訝しむことはなかった。ただ彼の心を利用した迷宮の無作為な悪意に憤った。
それがただの影であることは理解している。それでも彼の姿を傷付けることに例えようのない痛みを覚えながら、僕はソレと一騎打ちを果たして――――気が付けば決着はついていた。
本物の彼であったなら絶対にありえない僕の勝利で、目の前の影は霧散していた。
そして現れた本物のシェンナはただ眠っていて、あるいは悪夢ですらないただの微睡みに陥っていたのだろう。
僕の気など全く知らぬ様子で滾々と眠り続ける彼の姿に、僕はそこで初めて心底からの安堵を得た。

最後の試練を終え、著者の残留思念は問うた。
迷宮で示された彼の軌跡の一部を振り返って、その旅路に意味はあったのかと。
彼自身それを徒労と知りながら、ある種惰性のように他者の死と向き合いそれを救い続けてきたことに、果たして意義はあったのかと。
その一生の集大成である書の存在意義と、その下地となった彼の生涯の答えをきっと求めて……。

残念ながら僕は、その問いへの答えを持ち合わせていない。
僕に死を選ぼうとする見知らぬ人々にかける言葉などあるわけがない。
そんな寝覚めの悪い真似を僕の前でしようとする不快感への場当たり的な反応が精々だ。いっそ死ぬなら死ぬで、僕の知らないところでやってくれと厭うほどだ。

だけど……そうした負の波に彼が――シェンナが呑まれようとしていたなら、話は別だ。
見知らぬ人々の死は僕にとって不快なだけの他人事だが、彼の死は僕にとって取り返しのつかない一大事だ。
結局のところ、死に逝く者への価値を誰がどう見るかに尽きるのだろう。つまり僕にとって彼は他の誰よりも生きるに値する命であり……だからその命を救おうとするだけだ。
そして書を残した、数多の命を救ってきた彼は……逆説的に、その命の価値を認めていたのだろう。本人の自覚の有無に関わらず、その行動の結果として。

そんな答えにもなっていない返事で、彼は最後に小さく微笑んで消えた。
それが彼の求めていた答えであるかなど僕に知る由もないが、結果として迷宮は踏破され、僕は現実に立ち返ろうとしていた。
結果だ。つまるところ全ては、最後に残った結果だけが雄弁に語る。……結局、その程度のことなのだろう。

僕は未だ眠ったままのシェンナを抱え現実へと戻った。
帰還を待っていた店主の安堵の声に迎えられ、一言二言を交わして帰路へつく。
その途中で跳ね起きたシェンナは、当然のことながら迷宮内でのことなど記憶に無く、繋がらない前後の記憶に怪訝な表情をしていたけれど……その様子こそが、その時ばかりはどこか滑稽で……そして愛おしくてならなかった。
僕がいなければ彼は未だ囚われの身だったのだろうかと考えながら、そもそもの発端は僕だったことを棚に上げて――――ふと、抱え上げた彼の身の頼りないほどの軽さを思い出していた。

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