私には、家族との思い出なんてものは殆ど無いない。
もっと言うなら、そもそも親の顔も、名前も、覚えていない。
私は捨て子だった。物心着く前から、あの悪徳の都の、小汚い路地裏で生きていた。
そんな境遇の私が、盗賊ギルドに拾われ、そこで生きることになったのは、そう遅くなかった。確か十か十一の頃だったと思う。
だから、あえて言うなら、私にとってはギルドの連中が家族みたいなものだった。
ある日、私の同期の男が一人、ギルドの掟を破った。他のギルドの縄張り内で盗みをしてしまったのだ。
上の連中はすぐに、その男に処刑判決を言い渡した。けじめをつけさせる、というやつだ。
そして─────その処刑の実行人に、彼と最も仲の良かった私が選ばれた。
暗い部屋の中、椅子に縛り付けられた男の前に立った私には、ナイフが一本渡されていた。
『この世界で生きるなら、裏切り者の一人くらい、躊躇いなく殺せなくては困る』と、渡した奴は言っていた。
別に、殺しをするのは初めてではなかった。
蛮族や人型の魔神を殺したことは何度もあった。
人族相手は……あまり気が乗らないので、せいぜい片手で数えられる程度の経験しかなかったが。
その数回も、蛮族を殺るのとあまり変わらないな、なんて思いながらだったと記憶している。
だけど、身内を殺すことになったのは、それが初めてだった。
ナイフを持つ手が、彼に近づくための脚が、震えていた。
心臓の鼓動が、強く、激しく、まるで脳を揺さぶるかのような勢いになっていた。
彼が言った。『迷惑かけてごめん』と。
上の連中が言った。『殺せない理由があるなら、お前も椅子に座らせるだけだ』と。
固唾を呑んで、一歩、また一歩と、前に踏み出した。
彼の目の前まで辿り着いた。再び唾を飲み込んで、深呼吸をして─────心臓の位置に、ナイフを突き刺した。
彼が、静かに呻き声を上げた。口から吐いた血が、私の肩に、背中にかかった。
次いで、掠れた呼吸の音が、私の耳に届いた。
幸か不幸か……いや、間違いなく不幸か。
縦に刺してしまったナイフは心臓に届かず、その一撃は致命傷止まりになってしまったのだった。
ナイフを引き抜いてからそのことに気がついた私は、ナイフを水平にして、もう一度彼を刺した。
彼は、今度は声を上げなかった。代わりに、一度目よりもたくさんの血を吐いた。
同時に、まるで肺が押しつぶされるかのような苦しみと、頭が少しふらつくのを感じた。
それでようやく、私は深呼吸の後からずっと、呼吸を止めてしまっていたのだと理解した。
慌てて思い切り息を吸って、吐いて、また吸って、吐いて。それを繰り返しながら、一歩後ろへ下がった。
そして、がくりと項垂れた彼の姿を見て、私は声にならない悲鳴を上げた。力が抜けて、へたりこんだ。
荒く呼吸をする口の中が、鉄錆のきつい臭いで満たされるくらいまで時間が経っても、私はその場を動くことができなかった。
それ以来、私は他に手段がない場合でしか、人を殺すことはなくなった。
私と"家族"との間にある、嫌な思い出はそれくらいだ。
なんでこんなことを日記にしたのか、って?
"三度目"が来ないように、供養の意味を込めて、ってところかしら。 |